陶山書堂は、先生が直接弟子を教えたところであり、1557年着工し、1560年に完工した。書院内で一番古い建物であり、退溪が直接、基本的な設計を行ったと伝われる。 書堂は一字型の整った3間の建物であり、台所、オンドル部屋、板の間から構成されている。ここに台所半間、板の間1間を増築し、建物3面に欄干を設置したところが特徴である。重ね屋根をつけて板の間を延長し、部屋は玩樂齋、板の間は巖栖軒と名づけた。
思索と研究を続け、弟子を教育した部屋を「玩樂齋」と名づけたが、その意味は『完成させて楽しむので、一生ここで暮らしても悪くない。』であり、弟子を教えながら休息をとった板の間は「巖栖軒」と名づけ、これは、『学問に対する自信が長い間無かったので、岩に寄り添いながらでも勉学に励む。』という謙遜の意味を持っている。